2005年2月11日
*世界の食卓から(第37回):くいだおれ
 今回は第4回「食の散歩道」をお届けいたします。

・くいだおれ?
 私は大阪生まれの大阪育ち。よく「大阪はくいだおれの街だよね」と言われてもよく意味が分かっていなかった。それほどおいしい物があるようにも思わなかったし、おいしい店はおいしく、おいしくない店もある、というのは日本全国どこへ行っても同じだと思っていた。

・大阪名物たこ焼き?
 これも、どこの店がおいしい、などと本に載っていたりするが、どれがおいしいのかよくわからない。家で作るたこ焼きはかなりおいしいと思うが、店で売ってるのは、なんであんな小麦粉とひとかけらとしか言えないような大きさのタコが入っているだけで一個30円以上もするのか理解できない。
大阪人の「おいしい」の定義には絶対に値段が入る。「高くてうまいは当たり前。安くてうまいものをうまいと言うのだ!」と誰もが思っている。それから考えると、100円で3個しか食べられないたこ焼きは、かなりおいしくなくては大阪人に「おいしい!」と認めてもらえない気がする。私が今まで外で食べたたこ焼きなら、まあ、6個100円なら「おいしい」と言えるよね、というレベルだと思う。
 したがって、ガイドブックに載っている「おいしいたこ焼きの店」は大阪人以外の人が食べて「おいしい」と思う店であって、大阪人が食べて「うまい!」と思う店ではない。ような気がする。

・たこ焼き発祥の地
 たこ焼きの前身は「ちょぼ焼き」というものだったと言われている。これが初めて売られたのは、大阪、京町堀にある「御霊神社」の夜店だったそうだ。この御霊神社の夏祭りでは小学生が枕太鼓を叩くのだが、父、弟ともに枕太鼓を叩かせてもらった。私達が初詣には必ず出向く神社だ。ついこの間までそんな「たこ焼き伝説」についてはつゆ知らず、おたふくソースさんが出されている「タコロジー」という本を見て初めて知った。私の育った地はまさに「たこ焼き」の地だったのだ。

・食い倒れる
 くいだおれの街生まれの、くだおれの街育ちは、くいだおれの街とは「京都は高くてうまい物がある。でも大阪には安くてうまい物がある。」程度に思っていた。しかし、そこから外に出ると、もっとすごいことがあることを最近知った。それは「高くてもそこそこのものしか食べられない」だった。

・食事処選択の不自由
 日本の十大都市には入るであろう某都市。そこへ行って食事処選択の不自由にぶち当たった。街に食事する所が少なく、もう、食べる所はそこしかない状態。大阪ならばどこにでも食べる所はあって、どこで食べるか選べるのに。さらに、イタリアンならイタリアンでどこにしようか選べる。しかし、地方都市。「イタリアン」と決めてしまうと、探し歩かなくてはならない。ようやく一軒探しあて、そこへ入る。当然、一軒しかないので競争なんてものはなく、値段は勝手につける。必然的に高くなる。味の方はというと、べつにそんなにおいしくなくても客は来る。ああ。なんてひどい悪循環。大阪では800円出せばデザートもしくはコーヒー付きのランチが食べられてしまったりするのに、恐るべし地方都市。賃貸料、原材料は大阪より安いはずなのに、平気な顔で「ランチ1200円」なんて書いている。大阪ではあり得ない。

・おいしいお店はどこ?
 この某都市で、「どっかおいしい店ない?」と周りの人に聞いてみた。ほぼ全員が「う〜ん・・・」と唸っていた・・・。唸らない人もいたが、うまくてでも高い、のだった。
 これが大阪ならば「何がおいしい店がいい?」と聞かれ、「和食」と答えると、どこどこ、と教えてくれるのに。少なくとも私は友人が大阪に来たらオススメできる店が何軒かある。

大阪弁の「勉強しまっせ!」「もっと勉強してや!」の意味が初めてわかった。地方都市のお食事処の皆様。勉強して下さい。