2004年7月11日
*世界の食卓から(第17回):スマイル有料

 外国でレストランに入るのは難しいので、あまり好きではない。何が難しいか。

・メニュー
 まず、メニューが難しい。英語で書いてあればわかるが、英語圏以外の国の場合、ほとんど英語表記はない。どんな食べ物かわからないどころか、文字すら読めない。台湾に行った時はなんとなく漢字で想像できたので助かったが、日本のようにご丁寧に表にディスプレイも置いていないし、メニューに写真も載ってない。イタリア料理屋に行くと「パスタ」とか「ピザ」とか書いてあるので、どのような種類かはかろうじてわかるが、内容はわからない。よって、適当に注文する。
これです。真っ黒パスタ・・・。 オーストリアのイタリア料理屋で適当に注文して、真っ黒いパスタが出てきたのには驚いた。イカ墨ソースではない。麺自体が黒いのだ。食べてみておいしかったのでそのまま食べたが、未だに、なんのパスタかはわからない・・・。
 チャイナタウンで飲茶を食べた時も、難しかった。料理を台に乗せて、おねえさんがテーブルの周りをぐるぐる歩いて、食べたい物があれば、そのおねえさんから直接もらうのだ。普通にメニューを見れば、だいたい漢字で想像できるのに、実物を見ても、さっぱりなんだかわからない。肉まんや、餃子のようなものをおねえさんが持っていても、中身が何かは、食べてみてからのお楽しみ、というわけだ。食べられない物を売ってはいないだろう、という憶測のもと勇気を出して食べてみるしかないのである。
 中華料理の漢字のメニューは時にわかりやすく、材料だけでなく、調理の仕方までわかってしまう。日本でも最近、多国籍料理の店なんかに行くと、なんだかわからないメニューがあるので、いっそ、中華料理のメニューの方が、読めないにしても、わかりやすいかもしれない。

・食べ方
 食べ方が難しいなんてものは、ほとんどなかった。もしかしたら食べ方を間違ったことがあったかもしれないが、指摘されない限り、気付かないのでわからない。

・最困難事項(最嫌悪事項?)

 一番難しいのは日本で習慣のない「チップ」である。私はこれが大嫌いだ。「よくできる人はよく稼いで、頑張らなかった人は稼げない実力主義でいいんじゃない?」という人がいるかもしれないが、それは違う。人種でも「チップ額の差」は出るのだ。頑張ってサービスすればよい、という単純な物ではない。

・チップ未納で追いかけられる?
ケベックの有名なホテル。ふもとには大砲があります。 カナダの「ケベック」という都市に行った時に、おいしいと言われているクレープ屋さんに行ってみた。ケベックはフランス語圏だがメニューは英語でも書かれていたので、注文はできた。店員は無愛想に注文を聞き、その時はそれでよかったのだが、なんと、あとから来た隣のおばさんにはメニューについて親切に説明しているではないか。私には説明してくれなかった。非常に気に入らない。私だって説明してもらいたかった。その後、注文したクレープが出され、不機嫌ながらも頂いた。味はまあまあだったが、気分が優れないので、おいしいとは思わず、もちろん、説明してもくれなかった店員にチップを払う気なんて全くなかった。会計を済ませ、外に出ると、なんと店員が追いかけてきた。「チップを払い忘れている。」と。はあ?あのサービスでチップをもらおうなんて、言語道断。追いかけてきてまで言う?!なんだかごちゃごちゃ言われたので1ドルお支払いしたが、非常に気分の悪い思いをした。後でイギリス人の友達にその話しをすると、どんなにサービスが悪くてもサービスが悪いなりのチップをお支払いしなくてはならないらしい。(例えば「一円」とか)。

・チップとは?
 そもそも考え方がおかしい。「おいしい物を食べてもらう。」ということがそのレストランの商品であるならば、いい気分で食べてもらわなくてはならない。「おいしい」というのは食べる物だけでなく、雰囲気、状況も当然加味される。それを「食べ物」と「雰囲気、状況」を別々に考えるのはどうだろう?それらは一体となって「おいしい物」になるのではないだろうか?一体となっているものに、なぜ別々の料金がかかるのか。

・サービスはおいしさに繋がる
 スマイルはおいしく食べてもらうための材料の一つである。別料金がかかるというのは、なんとも理解できない。おいしく食べてもらいたい、というのは作った人の願いではないのだろうか。どんなにいい材料を使い、腕をふるわれた料理でも、無愛想に出された料理は、誰が食べてもおいしくないはずだ。しかも、愛想良く食事を提供されても、食事をいただいている間中「チップはいくら払おう、いくらがいいかな。」と考えなくてはならないのでは、おいしさも台無しだ。

 チップの必要な国のレストランでどんなにスマイルされても、「いくらほしいの?」と思ってしまうのは私だけだろうか。